情報は相手の目線に合わせなければ伝わらない。いかに相手の立場や状況を想像し理解できるかが大事

ハウツー

文章や口頭で何かを伝える際、「”自分が考えている常識”を基準にするのはよくないなー。」と思うような情報をいくつか目にしたのでご紹介します。

「常識」や「当たり前」の基準は人それぞれ違うので、相手の基準に合わせて伝えるようにしないとこちらが伝えたいことが上手く伝わりません。

まずはこちらの事例から。

ITスキルが使えるとは限らない

 

とくに重要だったのはこの部分。

「PDFを開く」からしてつまづく人が発生するのがPTAのLINEグループなので、そこで(え…押したら開くよね?スマホなら PDF見られるやろ…)とか思ってはいけないのです。画像とPDFと両方送って「見やすいように両方送りました!中身は同じでーす!」って説明を添えるとかが必要なんですよね。

 

普段当たり前のようにインターネットを使いこなし、当たり前のようにいるパソコンを使っているとついつい忘れてしまうのですが、世の中にはインターネットを使ったことがないしパソコンを触ったことがない人もたくさんいます。中にはPDFの使い方がわからない方とか、つい最近インターネットを使い始めた人もいるわけです。

そいった方たちの存在を無視して”パソコンが得意な人の常識”で考え、デジタルデータで情報を伝えようとしても、自分の伝えたいことを正確に伝えることはできません。

相手はデジタルデータの開き方がわからないどころかパソコンすら使ったことがないかもしれないんですから、当然といえば当然です。僕も相手の立場をよく考えずに発言してしまうことがあるので反省しました。「まだ現金で消耗してるの?」とか。

文字が読めるとは限らない。文字が書けるとは限らない。

続いては「文字が読めないかもしれない」という事例。

これは衝撃的でした。

日本人なのに文字が読めない、書けない人がいるなんて想像すらしたことがなかったです。自分がいかに無知で狭い世界に住んでいるのか思い知らされました。

日本では小学校に入学するとすぐにひらがなの読み方・書き方を教えられ、6歳の子どもでも読み書きできる子がほとんどです。僕も小学校で習いましたが、小学校に入学する前からカルタ遊びをしていたり50音表のポスターが家に貼ってあったりしたため文字で苦労したことがありません。

しかし日本の識字率は99%とされ100%ではありません。未就学児以外にも文字を読んだり書いたりできない方が存在します。

日常生活には大きな支障がないかもしれませんが、文字が読めない方の存在を忘れたり無視したりするわけにはいかないな…と思い知りました。読み書きできない相手には口頭で伝えたり、音声や動画で伝えたりする必要がありそうです。

 

文字が読めないまま社会に放り出された方たちのことは、過去にクローズアップ現代にも取り上げられたことがあるみたいですね。

ひらがなも書けない若者たち ~見過ごされてきた“学びの貧困”~

情報を伝えるには想像力が必要

パソコンスキルがどの程度か毎回確認する必要はないと思いますし文字が読めるかを毎回確認する必要もないのですが、相手がどの程度のことを知っているのか?どういった環境で生きてきたのか?を想像し、相手の状況に合わせた対応は必要だと思います。

こういうのって営業が得意な人は自然にできていたりするのですが、人と接する機会が少ない方は苦手だったりします。(←これも僕の”常識”で想像したことに過ぎません)

 

「自分が知っていることなら相手も知っているはずだ」

「俺が知らないことなら隣の人もきっと知らないはずだ」

「私ができるんだからあの人にも出来て当たりまえ。」

こういった考えのまま人と接すると、身勝手で独りよがりで自己中心的な人だと思われます。

何かを伝えたいときには相手の立場や状況を想像し、理解し、相手に合わせて伝えるのが大事です。

 

アメリカ人と付き合いたいなら I love you.(アイラブユー)

中国人と付き合いたいなら 我愛你(ウォーアイニー)

と伝えるのと同じ。

もちろんアメリカに住む中国人や中国生まれのアメリカ人もいます。中国人だけど母国語が嫌いな方だっているかもしれません。だから相手に合わせるのが大事なんです。

この言葉が胸にチクリときます。

人と接するときは自分の常識を押し付けるのではなく、思いやりを持って接したいですね。

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