ツイッターを眺めていたら、野草やジビエの話題を見かけました。人類が日々改良に改良を重ねてきた努力の軌跡を感じることができます。
取材された。
取材)野草にかかせない調味料はなんですか?
のん)塩です!アク抜きとか!
取材)えーと、野草のクセをなくして、美味しく食べるにはどのような調味料が?
のん)そうゆう人は、野草じゃなくて野菜を食べましょう。野菜は美味しいですよ。
多分、私は答えを間違えいる。#野草
— 365日野草生活 (@365nitiyasou) 2018年12月7日
野菜旨いですもんw
野草食べるようになって、野菜すげーな!ってなりました。— 右ききのミキ@家族で高知移住 (@migikikinomiki) 2018年12月7日
ジビエ料理について聞かれる時もおんなじだな〜
取材「今まで食べた中で一番美味しい肉は?」
僕「鶏ですね。博多地鶏!」
取材「いえ、そういうのじゃなくて…じゃあ、鶏みたいに美味しい鳥は何ですか?」
僕「鶏みたいな鳥が食べたいなら、鶏を食べた方がいいですよ」
僕は間違ってないと思う。 https://t.co/FlYL1zZIwB
— 東雲輝之@孤独のジビエ (@rakurou21) 2018年12月8日
元々そこらへんに生えていた雑草というか野草を食べてみた先人たちが「これをもっと美味しく食べられないかな?」と悩み、人間の口に合うように改良してきました。
その成果がいまの野菜だったりします。
トマトなんて「赤ければ赤いほど美味しく見えるから。」と言う理由だけで、赤さを際立たせるための遺伝子を探すプロジェクトが立ち上がったほどです。
ジビエ(イノシシやシカなど動物の肉)についても、「もっと美味しく簡単にこの肉を食べたい!」と先人たちが努力してきた結果、いまの家畜のようなものが生まれました。
野草やシビエを食べると独特の「クセ」があって、食べられなくはないけどそれほど美味しくもない・・・という感覚に陥ります。
初めて野草やジビエを食べたときには「なんだこれ?こんなの食べたことない!」と感動するのですが、これは実は野草やジビエそのものに感動しているのではなく、先人たちが今のクセのない状態まで改良してきてくれたその努力に対して感動しているのかもしれません。
野草をおいしく改良したのが野菜だし、野生鳥獣をおいしく改良したのが家畜ですね。うまいのは後者。ただ後者が当たり前になると刺激を求めて前者を求めるときがある。昔の機械をみて感動するけど、今となっては使えないのと同じことね。あの感動は今の技術の進歩に感動してるのですね。
— あなかし (@anakashi1) 2018年12月8日
食べものに限らず、機械や生活習慣にも人類の進歩がいたるところで感じられます。
たとえば僕は毎日歯ブラシで歯の掃除をしていますが、昔は食後にうがいをする程度で歯を磨く習慣はなかったそうです。
それが江戸時代には房楊枝と呼ばれる歯ブラシの原型が誕生し、今では石油製品で作った歯ブラシが流通しています。
参考記事:【画像】江戸時代の歯磨きは意外に進んでいた。300年前の歯ブラシ・歯磨き粉も紹介
歯ブラシそのものの進化にも感動しますが、実はその気持ちの大半は
- 歯磨きをしないと虫歯になってしまうくらい、毎日美味しいものや甘いものを食べられるようになった
という人類の進歩に対する感動で占められているのかもしれません。
なにか新しい技術を開発しても、その技術単体では感動は生まれにくいです。むかしの技術と比較することで進歩の度合いがわかり、感動も大きくなるのだと思いました。
コメント