僕たちは野草やジビエの何に感動しているのか?

野草 ジビエ肉 感動

ツイッターを眺めていたら、野草ジビエの話題を見かけました。人類が日々改良に改良を重ねてきた努力の軌跡を感じることができます。

 

 

 元々そこらへんに生えていた雑草というか野草を食べてみた先人たちが「これをもっと美味しく食べられないかな?」と悩み、人間の口に合うように改良してきました。

その成果がいまの野菜だったりします。

 

トマトなんて「赤ければ赤いほど美味しく見えるから。」と言う理由だけで、赤さを際立たせるための遺伝子を探すプロジェクトが立ち上がったほどです。

 

ジビエ(イノシシやシカなど動物の肉)についても、「もっと美味しく簡単にこの肉を食べたい!」と先人たちが努力してきた結果、いまの家畜のようなものが生まれました。

 

野草やシビエを食べると独特の「クセ」があって、食べられなくはないけどそれほど美味しくもない・・・という感覚に陥ります。

初めて野草やジビエを食べたときには「なんだこれ?こんなの食べたことない!」と感動するのですが、これは実は野草やジビエそのものに感動しているのではなく、先人たちが今のクセのない状態まで改良してきてくれたその努力に対して感動しているのかもしれません。

 

 

 食べものに限らず、機械や生活習慣にも人類の進歩がいたるところで感じられます。

たとえば僕は毎日歯ブラシで歯の掃除をしていますが、昔は食後にうがいをする程度で歯を磨く習慣はなかったそうです。

それが江戸時代には房楊枝と呼ばれる歯ブラシの原型が誕生し、今では石油製品で作った歯ブラシが流通しています。

参考記事:【画像】江戸時代の歯磨きは意外に進んでいた。300年前の歯ブラシ・歯磨き粉も紹介

 

歯ブラシそのものの進化にも感動しますが、実はその気持ちの大半は

  • 歯磨きをしないと虫歯になってしまうくらい、毎日美味しいものや甘いものを食べられるようになった

という人類の進歩に対する感動で占められているのかもしれません。

 

なにか新しい技術を開発しても、その技術単体では感動は生まれにくいです。

むかしの技術と比較することで進歩の度合いがわかり、感動も大きくなるのだと思いました。